根付師一覧のご紹介

ア行の作者銘

・石川光明(いしかわ こうめい)
江戸浅草の宮彫師の家に生まれる。本名藤太郎、菊川正光に彫法を学ぶ。卓抜した刀技で明治期彫刻界の大家となり、木彫りの光雲、牙彫の光明と並び称された。嘉永五年―大正二年(1852~1912)

・一貫(いっかん)
嘉永頃(十九世紀中頃)の名古屋の名工。人物、獣中類を木彫りす。殊に壮年の眠り猩々、後半の鼠は定評あり。

・一丘(いっきゅう)
中期の人。木彫り、牙彫りともに作る。

・一江(いっこう)
中期の人。木彫りをなす。

・一渓(いっけい)
中期の人。青岑斎と号し木彫りをなす。

・一旦(いったん)
幕末―明治の人。一旦夫、または競龍斎と号す。鳥羽藩士であったが後年名古屋および岐阜に住み、人物、獣類の木彫根付を作った。殊に眠り猩々を得意とした。

・永光(えいこう)
木刻を主とす。初期の人なり。

・小笠原一斎(おがさわら いっさい)
天明頃(十八世紀後半)の紀州の根付師。当時すでに無双の名手と賞された。細密・適格な素彫で、入銘のものはほとんど見られない。

・岡友(おかとも)
天明以前、京都東山に住み、象牙または柞を用いて素彫根付を作る。同じく京都の正直の作が「剛」に対し、岡友は「柔」の雰囲気をもつ。栗に鶉、猿を得意とした。

・岡隹(おかとり)
岡友の弟。牙彫で動物を得意とした。天明寛政頃(十八世紀後半)の人。

 

カ行の作者銘

・懐玉斎正次(かいぎょくさいまさつぐ)
幕末―明治、大阪の人。清水吉兵衛の長男として生まれ、安永家に養子となるが、実父の死後清水家の名を継いだ。木彫牙彫ともに写実に徹し、最上の材料を選び、細緻正確にして力のある品格高い作品を作って、根付界第一の名人と称される。二十歳頃までは「懐玉堂」三十歳頃まで「正次」、その後は「懐玉斎正次」と入銘した。文化十年―明治二十五年(1813~1892)

・景利(かげとし)
中期の名工。名古屋に住し(一説に京都の人)、木彫牙彫ともに巧みで、緻密な透かし細工を得意とした。

・雅堂(がどう)
明治二十一年(1888)高松市生まれ、のち大阪に移る。木竹彫刻をもって多くは煎茶器を作り、時に根付も作った。

・我楽(がらく)
安永頃(十八世紀後半)、大阪の人。通称利助と称し、動物を牙刻した。

・旭斎(きょくさい)
後期の人。木彫で細密写生風の仙人、観音等を作った。

・玉珉(ぎょくみん)
「玉民」と同一人か。詳細不明。中期の人。

・牙中(げちゅう)
天明(1781~89)以前の大阪の人。獏や麒麟など空想上の獣を牙彫で力強く表す。

・江月(こうげつ)
天保(1830~44)頃の人。写生風の木彫を作り巧みであったという。

・虎渓(こけい)
木刻を以て多く獸類を作る。殊に虎を得意とし虎渓の虎は世に定評あり。又動物などのうらゆき殊に見事なり。伊勢鈴鹿郡阿野田に生れ、龜山にて技を學び、後桑名に住し岷江を理想とし其の風を採り、之に寫生風を加へ曾心の作品には岷江風の花押を刻せり。天明寛政頃の人なり。

 

サ行の作者銘

・左里(さり)
天明寛政頃の人。シンプルで質感をよくとらえた獣虫貝類の木彫をなし、特に蟇蛙や蜆貝を得意とした。

・三小(さんこ)
天明前、大阪に住む。小兵衛と称す。

・三笑(さんしょう)
大阪の人。和田源治郎のち弥太郎と改名。虎渓斎と号す。道笑の門弟となり、木彫牙彫を能くする。明治四年―昭和十一年(1871~1963)。

・重正(しげまさ)
寛政―文政頃(十八世紀末―十九世紀前半)。木彫牙彫で人物や動物を作り、蝸牛を得意とした。

・秋山(しゅうざん)
天明寛政頃、越後に住む。人物、十二支、仮面などの木彫根付を作った。

・周山(しゅうざん)
江戸後期の周山は、黄楊木に細かい独特の模様彫りと彩色を施す技法で、仙人や猩々など人物根付を得意とした。神棚や仏具などの作品も見られる。18世紀の絵師で彩色根付を制作した吉村周山(作品は全て無銘)や、吉村周山の作風を模したといわれる九郎兵衛とは別人で、作風も全く異なる。

・舟珉(しゅうみん)
三代舟月の門人。名は政。木刻で人物、鳥獣などを作った。

・寿玉(じゅぎょく)
嘉永頃(十九世紀中頃)の人。龍珪の門弟、長雲斎と号した。他に、珪玉門弟で龍光斎と号し、寿玉銘を用いる者あり。

・舟月(しゅうげつ)
明和(一七六四―七二)頃大阪に住む。樋口と姓し、狩野派の画を能くして法眼に叙せられた。傍ら根付を作るに巧みで、世に珍重されたという。のち江戸に移り雛人形店を開いて好評を博すも、紫宸殿型の雛人形を作りだしたことで江戸払いとなり、再び大阪にて根付を作った。面根付、殊にお福の面を得意とする。初代門弟が江戸で二代目舟月を名乗り、以降その子孫が代々業を継いだ。

・升雲斎如柳(しょううんさいじょうりゅう)
牙刻が多く木刻は少ないがいずれも卓越。人物根付が多く、動物意匠は極めて珍しい。天明以降寛政頃の人。MCIに詳しい記述有。姓は前田か?『根附の研究』に記述有。

・昇己(しょうこ)
昭和年代、東京の根付師。藻己の門に入り、師の風を学ぶ。

・如藻(じょそう)
本名宮崎清太郎。根付師斎藤一光斎孝実のもとで学び、根付及び煙管筒の彫刻で名を成した。光雲、光明等と並ぶ明治彫刻界の重鎮にして、門人に藻也、藻己、玉藻あり。安政二年―明治四十三年(1855~1910〇)。

・亮忠(すけただ)
初期の根付師。木彫で面根付などを作るに巧みなり。

・亮長(すけなが)
飛騨一刀彫りの祖。文政(1818~30)頃。姓を松田と称し、吉田亮朝に学んで、イチイの木の素彫で彫刻をなす。

・藻己(そうこ)
精巧精緻を極めて比肩するものなき近代の名工。明治十二年(一八七九)東京本郷に、彫金家森田政利の子として生まれる。喜三郎と称す。宮崎如藻の門に入り、師の刀法に法実と懐玉斎という二人の名工の風を加えて、木牙をもって素彫または巧みに彩色した根付を作った。後年は極小の仏像制作にも手を染めている。

 

タ行の作者銘

・啄斎(たくさい)
幕末―明治、長州諏訪の人。名は富種、通称専四郎。祖父富棟が江戸に出て立川茂平の門下となり、帰郷して開業してより、二代目・父富昌、三代目富種と業を継いだ。啄斎は号。

・忠利(ただとし)
天明寛政頃の名古屋の彫師。人物、鳥獣魚介、仮面等の根付を作って巧みであった。

・為隆(ためたか)
名古屋派の祖とされる名工。天明(一七八一―八九)前の人。喜多喜右衛門と称す。木彫人物根付の衣紋などを浮彫りにして独自の風を築いた。酒豪で奇行が多かったという。

・直斎(ちょくさい)
後期、大阪の人。一政斎直光に学び、木牙の素彫で根付を作る。

・辻(つじ)
天明以前の人。木彫の上手という。

・鉄哉(てっさい)
本名加納光太郎。岐阜の酒造家に生まれ、一時仏門に入り彫刻、仏画を学ぶ。父の師により還俗、鉄哉と号して絵画彫刻を業とした。のち彫刻を専業とし、その生の大半を奈良に寓して古美術の模写に努め、制作に勤しむ。銘「光」または「鉄哉刀光」。弘化二年―昭和元年(一八四五―一九六二)。

・東谷(とうこく)
幕末―明治の根付師。鈴木鉄五郎と称す。木牙角金一いずれの素材をも巧みにこなし、素彫または数種の材を組み合わせ彩色したものなど、小さく端正にまとめて高い評価を得た。

・道笑(どうしょう)
本名景井寿左衛門。出雲より大阪に出て、安楽斎道楽に師事、苦楽斎と号した。牙刻のほか、木竹甲角玉石いずれもこなす名工。文政十一年―明治十七年(一八二八―八四)。

・東岷(とうみん)
天明寛政頃の人。木彫で人物や鬼を作る。

・道楽(どうらく)
中期の根付師。尾道に生まれ、大阪に住す。安楽斎と号し、道楽または道楽斎と銘した。牙刻の上手。

・富春(とみはる)
出雲玉造に生まれ、江戸で彫技を学んだあと、石見国に住む。本姓清水巌。富春と号し、石見派の重鎮として人気が高い。また俳句を能くし、「春陽堂」「青陽堂」「籬桃」等種々の別号をもつ。享保十八年―文化七年(一七三三―一八一〇)。

・友一(ともかず)
十九世紀初―中頃の岐阜の根付師。一時京都へ出て名声を得るも、程なく岐阜に帰り金華山下黙山観音堂の傍らに草庵を構えて簡素な生活を送ったという。写実にのっとった精密、真摯な作風で、殊に亀および猿の根付を得意として知られる。

・友忠(ともただ)
天明(一七八一―八九)以前、京都の人。和泉屋七右衛門と称し、木または象牙をもって「緻密にして活気ある」彫りで牛を多く作った。「友忠の牛」としてもてはやされ、偽物が多く作られたという。

・伴忠(ともただ)
天保頃(十九世紀前半)の人。柳川善蔵と称し、彫金師田辺伴正に彫金を学んだが余技として印籠根付等を巧みに木刻したという。

・友親(ともちか)
文政天保頃(十九世紀前半)に活躍した江戸の根付師。松民斎親正の弟。山口竹陽斎と号し、牙材をもって意匠を主とした人物、禽獣、髑髏など北斎漫画風の根付を作った。

・豊一(とよかず)
豊昌の門弟。木彫で豊昌風の根付を作った。

・豊昌(とよまさ)
本名内藤四郎兵衛または専助。寛政のころ、丹波篠山にて印判彫刻、根付、置物などを開業。のち篠山藩の御用彫り物師となった。主に黄楊を用いた素彫で、独特な凄みのある動物や仙人等の根付を製した。安永二年―安政三年(一七七三―一八五八)。

・豊客(とよやす)
豊昌の子。英蔵と称す。左利きのため「左豊昌」とも呼ばれた。父豊昌とともに篠山藩御用を務め、父の死後、豊昌銘を用いた。

 

ハ行の作者銘

・白雲斎(はくうんさい)
天保以降明治前の江戸の根付師。一条と称す。息子喜太郎が二代を継いだ。

・白龍(はくりゅう)
安政頃の京の根付師。宮坂と称す。別に松雲堂とも号したという。牙彫で動物を作るに巧みであった。

・宝山(ほうざん)
江戸の仏師で法橋に任ぜられた。霊妙なる刀技をもって、仏像彫刻においても持物までを一木で刻んだという。余技に根付など軽妙な商品を作る。中期の人。

・法実(ほうじつ)
中期の名工にして、西の懐玉斎と並び東都第一と称された。山田伊左衛門と称し、幕府の御家人であったという。明鶏斎と号す。装剣金工に多く見る肉合い彫り(ししあいほり)を饅頭根付の彫法に応用し、その緻密にして自在、精彩溢れる彫技は当時の人々の驚嘆の的となった。形彫根付にしても、その巧妙な造形力と細部に至る刀の冴えは余人の追随を許さぬものである。法実根付の確かな策は極めて少なく、贋作が多く作られている。

・奉真(ほうしん)
天明以前の京都の人。木および牙彫をなし、蛤内の竜宮など細密な根付を作った。

・宝楽(ほうらく)
中期の人。木彫根付を作る。

 

マ行の作者銘

・正一(まさかず)
名古屋の人。根付師澤木利造正利の弟にして萬次郎、奇峰堂または奇峰斎と号す。のちに大阪に出て、木彫牙彫で神仙、人物、動物、仮面等を作った。明治の貿易根付として作った升鼠が好評を博し、多く同一のものがある。

・正香(まさか)
正一の門弟にして養子となる。澤木利三郎を称し、同じく奇峰堂を号 す。写生を主とした真面目な作で、殊に鼠を得意とした。

・正勝(まさかつ)
初代伊勢正直の実子。巧美な作品をなしたが、身体虚弱のため名を継ぐことがなかった。作品は数少ない。

・正民(まさたみ)
正一の門弟。名古屋の人。森部福造と称し、木彫牙彫ともに巧みであった。昭和三年(一九二八)没。また別に、十九世紀後半の人で、名古屋からのち大阪へ移り、人物、獣、仮面の牙彫根付を作り、特に猿を得意とした正民もあり。

・正次(まさつぐ)→懐玉斎正次

・正友(まさとも)
天保―嘉永頃(十九世紀前半―中頃)の伊勢の人。木彫で仙人、人物、動物等を作った。

・正直(まさなお)
天明寛政頃(十八世紀後半)、京都の人。木彫牙彫ともに巧み。身近な動物の特徴をよく摑んだ迫力ある作品で人気を博した。

・正直(まさなお)
伊勢の鈴木新助が中年より鳥羽の一旦に習って根付を始め文化文政頃(十九世紀前半)、正直を名乗った。伊勢神宮参拝の土産品として人気を呼んだ蛙根付をはじめ十二支、花鳥など緻密にして力のある気彫りを多く作る。門人三宅長五郎が二代目正直、その子喜三郎が三代目正直を継いでいる。

・正之(まさゆき)
中期―後期の人。姓加藤。東京四谷に住し、牙彫で鬼やお福の細刻をなした。他に、文政頃(十九世紀前半)、宝春斎正之と称した根付師あり。

・光弘(みつひろ)
姓大原。尾道に生まれ、大阪に住して牙彫をもって知られる。愚子、徳隣斎、切磋堂と号した。文化七年―明治八年(1810~75)。

・三輪(みわ)
天明頃(十八世紀後半)、江戸根付の祖と称される名工。名を広森勇閑といい、紀伊国屋庄左衛門と通商した。余技として根付を作り、桜、唐木等を用いた素彫に、紐通し穴に多く染象牙や染つのを嵌入した。他にも「三輪」と称する者数名あり。

・岷江(みんこう)
伊賀に生まれ、彫刻をもって津幡御抱えとなる。紫檀、黒檀、黄楊、黒柿等を用いて多く動物(特に虎)、果実を作った。意匠性を重視し、また、種々の機関(カラクリ)根付を考案して大いに人気を博した。在世中にすでに偽品が多く流布したという。享保二十年―文化十三年(1735~1816)。

・民谷(みんこく)
寛政頃の江戸の名工。玄了斎と号し、木牙彫で人物を得意とした。

・森川杜園(もりかわ とえん)
明治初期の木彫家。奈良一刀彫りの祖。有職奈良人形師の第一人者として知られる。

 

ヤ行の作者銘

・吉友(よしとも)
中期初めの人。牙彫をなす。

・吉村周山(よしむら しゅうざん)
根付師として古来最も重視される作家である。大阪に生まれ、通称周次郎。加納探幽の弟子性川充信に絵を習い、画家として法眼に叙せられている。その確かな造形力をもって、主として檜の古材を用いて「山海経」「列仙伝」中の奇怪な像を意匠化し、極彩色を施した根付を作った。作品はすべて無銘。なお彫銘「周山」または「周」字印を刻んだ作品あり。これは大阪長町に住み、自ら吉村周山の後継者と称して周山風の根付を作った九朗兵衛(人呼んで「長町周山」)のものである。

 

ラ行の作者銘

・楽民(らくみん)
安政頃(十九世紀中頃)の人。弌葉斎と号す。小野陵民は彼の系統を引くものであろう。

・蘭亭(らんてい)
寛政年中の人。姓は長井。出雲の出身で京都に住し、巧妙なる牙彫の技を持って法橋に叙せられた。かつて胡桃に猿千匹を彫り、「精巧にして肉眼で識別することは能はざりし」と記される。

・龍珪(りゅうけい)
天保以降慶応頃の人。京都出身でのち江戸に移り、方珪に彫法を学んで根付師となる。染象牙を研究し根付に応用、その作は意匠巧妙にして刀技鋭く、法橋に叙せられた。神子斎と別号す。

・陵民(りょうみん)
幕末―明治の人。小野と称し牙彫を巧みにした。

・蓮斎(れんさい)
江戸松―明治の人。石川と称し、木牙角彫いずれも能くした。

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